3.鉄炮百人組の任務

同心くん

 ぼくたちの任務は商店街振興組合のマスコットとして、商店街の名を全国に広め……。

同心ちゃん

 じゃあわたしは、商店街を知る活動として百人町グルメ巡りをしてくるわ。
 今日はお祭りだし、あとは任せたわよ!

3.鉄炮百人組の任務

 関ヶ原合戦以後、二六四年に亘って天下泰平の世が続きました。ゆえに鉄炮組は実戦経験がなく、平時は将軍家お成りの際の警護の任につき、江戸城大手三門の守備についておりました。現在も百人組の詰所である百人番所が、江戸城旧日本丸の玄関口の門跡近くに、木造平屋の瓦葺きで約四百平方米の建物が現存しております。
 また、徳川家の菩提寺として名高い上野寛永寺文珠楼、芝増上寺山門の将軍参詣時の警護を任務とし、与力二十騎、鉄炮同心百人が正装をし供奉しました。これらは全て戦時に用いられた出陣形態を、儀式の上に再現制度化されたものであります。将軍の日光東照宮参詣、京都二条城参上の際には遠路隊列を整えお供もしたそうです。

 やがて鉄炮百人組は、当初こそ老中直轄支配でしたが、寛永の改革後は直参旗本に統合をされ、幕政を預かる若年寄が直接指揮をとるようになりました。寛永十二年には千葉県下総国「関宿藩」主久世三四郎廣當が鉄炮頭の任につき、現在の職安通りのハローワーク周辺に、一万三千坪の広大な屋敷をもっておりました。


 その後、百人組は鉄炮奉行による支配へと移行されました。その編成は、組頭一名三十石、馬上与力二十騎八十石、鉄炮同心百人三十俵二人扶持の禄高でありました。

参考文献

『日本人名大辞典』 平凡社
『江戸幕府役職集成』 雄山閣
『国史大辞典』 吉川弘文館
『昭54 新宿文化財総合調査報告書№5』
新宿区教育委員会
『将軍の護衛集団』 名和弓雄著
K・Kベストセラーズ発行

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