1.石器時代に存在した百人町、大久保地区

同心くん

 同心ちゃん、本当に石器時代から紹介するの?

同心ちゃん

 もちろんよ。百人町や大久保地区で石器や土器、たて穴住居の跡も見つかってるのよ。

1.石器時代に存在した百人町、大久保地区

 同心ちゃんの言う通り、百人町・大久保地区で行われた調査の結果、石器や土器、たて穴住居跡、縄文遺跡が見つかっています。

(百人町三丁目遺跡:新宿区「百人町三丁目遺跡6次調査」)

 その後、弥生後期に弥生後期に妙正寺川、神田川流域で水田耕作が行われ、一地区の居住者が増え小さいながら村の形がとられるようになり、奈良、平安時代になると古代国家が確立。百人町大久保(その頃大久保といわれてないが)は武蔵国豊島郡に編入された田園地帯でした。

 そして、平安末期から中央の力が東国経営に積極化するに従ってだんだ伝承・文献資料が残されるようになりました。ということで、そんな文献たちをもとに、なぜ「大久保」と呼ばれるようになったかをご紹介しましょう!

参考文献

新宿区の歴史昭和52年
新宿区町名誌昭和51年
とやまー思い出の記ー第8集
新宿区歴史博物館常設展示図禄平成元年

Next→2.大久保の由来。鎌倉時代に命名された「大久保」は「大きな窪地」が由来!?